トケンザカイノコボトケトンネル

まとまった書き物置き場: takane@ダム日和

日本で最初のテトラポッドに会いに行く(その3)

久慈で一泊し、周辺の2カ所の港に探しに出かけます。
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一つ目は久慈港、資料と現在の地図を比較して場所を推測していくと
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この防波堤を作る際の寝固めに使用したらしいという事なのですが、現地に行ってみたら
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あるはずの防波堤がない!どうやら被災して破壊されてしまったようです。おそらく、手前に積み上げられているコンクリートのがれきがその一部なんじゃないのかと思うのですが、目を凝らしてみてもそれらしいものは見つかりませんでした。
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気を取り直して30kmほど離れた八木港に移動します。
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資料によるとコンクリートで出来た防波堤をテトラポッドで延長するような形で使用したらしいということで、実際の景色と比較してみたところ
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どうやら、これらしい。ということで近づいてみました。
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左がコンクリートのケーソンによる部分で、右がテトラポッド。おー、資料通りだとおもったのですが、
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どうやらテトラポッドは新しく積み直したもののようで、六角形のものは見当たらず。直接陸地につながっている防波堤じゃないので、これ以上近づく事も出来ずこれ以上の特定は無理でした。

というわけで、重茂港でどうやらそれらしいテトラポッドをみつけることが出来ました。今となってはこんなにありふれたものも、当時としてはすごく画期的だったんだろうな、ひょっとしたらその思いを受けて一つだけ残されていたのかな、なんて考えるとちょっと楽しいです。おそらく、今回の震災の復旧や復興でいろいろ大きく変わっていくでしょうし、そうじゃなくても形有るものいつかは壊れてしまうわけでは有りますが、これからも、あの片隅にそっと残され続けていってくれたらなぁ、なんて思います。

あと、今回東北に実際に行った事で、震災の受け止め方というのがちょっと変わったなという気がしました。というか、起きたことがあまりに大きすぎて受け止め方が分からず半ば耳を塞いでいるような感じになっていたのですが、実際に行ってみて観光地がなんとか元通り観光出来るように頑張っていたり、逆に被災して1年くらいではどうにもならない場所を目したりしてみると、気持ちの整理が出来たというか自分の中に受け止められる場所が出来上がった感じがしました。まあ、魚介類を始めとする食べ物は本当に美味しかったので(今回ごはんではずれが無かった!)是非、出かけてみてはいかがかなぁと思います。

日本で最初のテトラポッドに会いに行く(その2)

ところで、50年前のテトラポッドを見に行こう!と岩手まで来たのですが、そもそも当時のものってどうやって見分けるの?って疑問に思った方がいらっしゃるかも知れません。コンクリートの経年変化なんて素人目に分からないでしょう。でも今回見分ける切り札があるのです。それは
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なんと、日本で最初のテトラポッドは、足の断面が六角形なのです。一般的な的なテトラポッド
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こんな風に円形なので、これで見分けがつけられる!と踏んで今回東北まで出向いたのでした。

ちなみに、なんでこんな形をしているのかというと、これらのテトラポッドはメーカーから正式な型枠を手に入れて作ったのではなく、岩手県の担当者が自前で型枠を作ってこのテトラポッドを生産したため、ということらしいのです。
実は、このテトラポッド、日本国内ではメーカーが正式に日本で営業する前に雑誌などで情報が広まってしまい「既知の技術」ということで特許が認められず、かなりゴタゴタしたということがあったそうで、まあその一端を伝えるものという感じかも知れません。

って、じゃあ、それ「テトラポッド」なの?という身もふたもない疑問が頭をよぎりそうになりますが、大体資料をあたると日本で最初のテトラポッドは最初に挙げた岩手県の3カ所ということになってるので、これが日本初のテトラポッドったらテトラポッドなの!
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で、まあ、角のあるテトラポッドを求めて港をうろうろしてみる訳ですが、
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みかけるのは丸々太ったテトラポッドのみ。こんな闇雲に海を覗いてても埒が明かない、ということで資料をもう一度読み返してあたりをつけてみます。
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資料の施工地の概略図と説明を読むと、大小二つの岩礁に挟まれた部分を締切るための工事と小さい岩礁の先に延びる防波堤をつくるために使用したとあります。

それを踏まえて周りをながめてみると、
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おお、大小の岩礁ちゃんとあるじゃないか。で、まずは間に挟まれた締切工ですが、
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テトラポッドのテの字もみえないような感じになっています。しょうがないのでもう一つのポイント、防波堤を見てみたのですが、
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津波の被害を受けて先のほうまで行く事ができません。手前のほうに無いかなぁと眺めてみても、
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六角形の足のテトラは見つからず。仕方が無いので、ひょっとしたらなにか見つかるかもと締切堤の先に新しくつくられた防波堤に回り込んで、当時の防波堤を眺めてみたら
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あれ、小さい岩礁の手前になんかある!
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すっかり摩耗しているけど、明らかにこれ角張ってるよね?転がってる場所からいっても、これ、日本で最初のテトラポッドだよね?!やったー!
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岩礁とコンクリートの岸壁のすきまに身を寄せるようにたたずんでいるテトラポッド。周囲をみてもこれ以外に同様なテトラは見つからず、ひょっとしてわざと1個だけ記念に見える場所に残したのかなぁみたいな事を考えながら波にうたれるテトラポッドをしばらく眺めていました。


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さて、この後宮古市内で海の幸を堪能したり(本当に美味しかった)
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浄土が浜ウミネコが襲来する観光船に乗ったりしつつ国道45号線を北上して久慈まで移動して一泊しました。

道すがら市街地にさしかかるたびに、津波に被災してなにも無くなった土地と、うずたかく積み上げられた震災がれきを目にしました。
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今回、沿岸部を見て回ってしみじみ思ったのが、東北の沿岸部って津波に対してきちんと対策を備えをしていたんだなぁ、でもそれを上回るような災害が今回起きたんだなぁということです。車で走ってるとこんな風に津波の被害が有った場所を指し示す看板が立ってたり
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びっくりするような高さの防潮堤が海に面しているところに作られていました。いつかおこる津波が日常生活のすぐそばにある場所だったんですね。こんな備えがきちんとしていた場所でさえ、あんなふうに被害が起きてしまうんだなぁ、と。

その3につづく

日本で最初のテトラポッドに会いに行く(その1)


手ぬぐいにぬいぐるみとすっかりドボク界の人気者、テトラポッド

波消ブロックの代名詞として、日本のどこの海岸にいっても大抵見つけることができるほど本物も普通に人気者です。現状これだけ広く一般的に使われているテトラポッド、最初に使われたのはどこだと思いますか?

たまたま古書店で手に入れた、白井直文著『テトラポッドの設計と施工』という本によれば、テトラポッドはフランスのネールピック社により1949年に開発され、1951年にフランス領モロッコにあるロッシュ・ノアール火力発電所の冷却水取水口で世界で最初に使用されました。この本の巻頭に大きな写真で波を受けるテトラポッドの写真が載ってます。これがまたかっこいい!

じゃあ日本はというと、岩手県の港湾改修事業として重茂港・久慈港・八木港で1954年から1957年にかけて使用されたのが国内の最初の使用事例とのこと。

モロッコは無理でも岩手なら…。でも、岩手県といえば東北太平洋側、大震災の津波で大きな被害を被った場所ということで、50年近くの時間を経て津波も食らった現状ではたして残っているのだろうか、しかも今後復旧や復興によって大幅に手が加えられる可能性もあるよなぁ、と考えているうちにこれは一刻も早く行かなくてはと思って5月の連休に岩手の三陸海岸まで出かけてきました。
ゴールデンウィークの話をいまさらするのもなんですが、コミケの作業もおわったので、わすれないとこ書いときます。(ダム日和テレビ#67 「日本で最初のテトラポッドに会いにいく」で使用したスライドをベースにした記事です)

今回自分の車で出かけたのですが、1日かけて盛岡まで移動、1泊して盛岡から沿岸部まで出ようと思ってました。

しかし、盛岡から宮古まではなんと113km!しかも高速道路じゃなくてただの国道です。こりゃまたいきなりハードなドライブだなぁ、と覚悟を決めて山間部に入ったら、

なんだかものすごく走りやすくて拍子抜けです。思いのほか整備された道だったおかげで、2時間弱で宮古までたどり着くという結果に。やっぱり盛岡と宮古を結ぶ重要な道路だからきちんと整備されているんでしょうか(平行する鉄道の山田線は本数すごく少ないみたいですけどね)。まあ、そんなこんなで、山から抜けて目にしたのが、

いやというほど耳にした津波の被害ですが、こうして実際に目の当たりにするとその激しさに絶句します。ここは元々スーパー銭湯みたいなものがあったみたいなのですが、現在は土台が残されているだけ。当然1年経過していますから当時の状態ではなくて、被災した家屋やそのがれきを撤去した結果というまた震災直後とは違う風景なんでしょうけど、残っている場所と残ってない場所がくっきり分かれている風景というのは幾度となく目にしました。残っているところは全く日常のような風景なんですけど、残ってないところは震災の日から止まっている場所なんですよね。おそらくこの両極端が同居しているのがいまの被災地なんだろうなぁ、みたいなことを思いました。

あと、目にしたのが積み上がった震災がれき。

国道沿いとか普通に道を走ってるだけで、目に入ってくるような場所に積んであるんですね。で、この写真の場合なんかだとスポーツ施設に積まれてたりする。便利な使いやすい土地ががれきを集積する場所になってて、そりゃ、一刻も早くどかしたいよなぁ、と。がれきをどうやって処分するかとか、もちろん今回被災したような土地の利用をどうするかという議論はあるんでしょうけど、ただ少なくともリアス式海岸の山が迫るこの地域でまとまった平地というのは貴重な場所なわけで、そこが使えないのは痛いよなぁとか。

そんなこんなで、まず最初の目的地、重茂港にやってきました。この重茂港も当時津波に飲み込まれ

低い土地の集落が壊滅的な被害を受けた場所です。

港湾施設にも被害がでて、復旧作業が行われていました。鋼鉄やコンクリートという普通だったらびくともしないような構造物が思いも寄らないような形で壊れてて、暗雲とした気持ちになりながら、まあここまで来たのだからと目的のものを探します。

その2につづく