トケンザカイノコボトケトンネル

まとまった書き物置き場: takane@ダム日和

日本で最初のテトラポッドに会いに行く(その1)


手ぬぐいにぬいぐるみとすっかりドボク界の人気者、テトラポッド

波消ブロックの代名詞として、日本のどこの海岸にいっても大抵見つけることができるほど本物も普通に人気者です。現状これだけ広く一般的に使われているテトラポッド、最初に使われたのはどこだと思いますか?

たまたま古書店で手に入れた、白井直文著『テトラポッドの設計と施工』という本によれば、テトラポッドはフランスのネールピック社により1949年に開発され、1951年にフランス領モロッコにあるロッシュ・ノアール火力発電所の冷却水取水口で世界で最初に使用されました。この本の巻頭に大きな写真で波を受けるテトラポッドの写真が載ってます。これがまたかっこいい!

じゃあ日本はというと、岩手県の港湾改修事業として重茂港・久慈港・八木港で1954年から1957年にかけて使用されたのが国内の最初の使用事例とのこと。

モロッコは無理でも岩手なら…。でも、岩手県といえば東北太平洋側、大震災の津波で大きな被害を被った場所ということで、50年近くの時間を経て津波も食らった現状ではたして残っているのだろうか、しかも今後復旧や復興によって大幅に手が加えられる可能性もあるよなぁ、と考えているうちにこれは一刻も早く行かなくてはと思って5月の連休に岩手の三陸海岸まで出かけてきました。
ゴールデンウィークの話をいまさらするのもなんですが、コミケの作業もおわったので、わすれないとこ書いときます。(ダム日和テレビ#67 「日本で最初のテトラポッドに会いにいく」で使用したスライドをベースにした記事です)

今回自分の車で出かけたのですが、1日かけて盛岡まで移動、1泊して盛岡から沿岸部まで出ようと思ってました。

しかし、盛岡から宮古まではなんと113km!しかも高速道路じゃなくてただの国道です。こりゃまたいきなりハードなドライブだなぁ、と覚悟を決めて山間部に入ったら、

なんだかものすごく走りやすくて拍子抜けです。思いのほか整備された道だったおかげで、2時間弱で宮古までたどり着くという結果に。やっぱり盛岡と宮古を結ぶ重要な道路だからきちんと整備されているんでしょうか(平行する鉄道の山田線は本数すごく少ないみたいですけどね)。まあ、そんなこんなで、山から抜けて目にしたのが、

いやというほど耳にした津波の被害ですが、こうして実際に目の当たりにするとその激しさに絶句します。ここは元々スーパー銭湯みたいなものがあったみたいなのですが、現在は土台が残されているだけ。当然1年経過していますから当時の状態ではなくて、被災した家屋やそのがれきを撤去した結果というまた震災直後とは違う風景なんでしょうけど、残っている場所と残ってない場所がくっきり分かれている風景というのは幾度となく目にしました。残っているところは全く日常のような風景なんですけど、残ってないところは震災の日から止まっている場所なんですよね。おそらくこの両極端が同居しているのがいまの被災地なんだろうなぁ、みたいなことを思いました。

あと、目にしたのが積み上がった震災がれき。

国道沿いとか普通に道を走ってるだけで、目に入ってくるような場所に積んであるんですね。で、この写真の場合なんかだとスポーツ施設に積まれてたりする。便利な使いやすい土地ががれきを集積する場所になってて、そりゃ、一刻も早くどかしたいよなぁ、と。がれきをどうやって処分するかとか、もちろん今回被災したような土地の利用をどうするかという議論はあるんでしょうけど、ただ少なくともリアス式海岸の山が迫るこの地域でまとまった平地というのは貴重な場所なわけで、そこが使えないのは痛いよなぁとか。

そんなこんなで、まず最初の目的地、重茂港にやってきました。この重茂港も当時津波に飲み込まれ

低い土地の集落が壊滅的な被害を受けた場所です。

港湾施設にも被害がでて、復旧作業が行われていました。鋼鉄やコンクリートという普通だったらびくともしないような構造物が思いも寄らないような形で壊れてて、暗雲とした気持ちになりながら、まあここまで来たのだからと目的のものを探します。

その2につづく