日本で最初のテトラポッドに会いに行く(その2)
ところで、50年前のテトラポッドを見に行こう!と岩手まで来たのですが、そもそも当時のものってどうやって見分けるの?って疑問に思った方がいらっしゃるかも知れません。コンクリートの経年変化なんて素人目に分からないでしょう。でも今回見分ける切り札があるのです。それは
なんと、日本で最初のテトラポッドは、足の断面が六角形なのです。一般的な的なテトラポッドは
こんな風に円形なので、これで見分けがつけられる!と踏んで今回東北まで出向いたのでした。
ちなみに、なんでこんな形をしているのかというと、これらのテトラポッドはメーカーから正式な型枠を手に入れて作ったのではなく、岩手県の担当者が自前で型枠を作ってこのテトラポッドを生産したため、ということらしいのです。
実は、このテトラポッド、日本国内ではメーカーが正式に日本で営業する前に雑誌などで情報が広まってしまい「既知の技術」ということで特許が認められず、かなりゴタゴタしたということがあったそうで、まあその一端を伝えるものという感じかも知れません。
って、じゃあ、それ「テトラポッド」なの?という身もふたもない疑問が頭をよぎりそうになりますが、大体資料をあたると日本で最初のテトラポッドは最初に挙げた岩手県の3カ所ということになってるので、これが日本初のテトラポッドったらテトラポッドなの!
で、まあ、角のあるテトラポッドを求めて港をうろうろしてみる訳ですが、
みかけるのは丸々太ったテトラポッドのみ。こんな闇雲に海を覗いてても埒が明かない、ということで資料をもう一度読み返してあたりをつけてみます。
資料の施工地の概略図と説明を読むと、大小二つの岩礁に挟まれた部分を締切るための工事と小さい岩礁の先に延びる防波堤をつくるために使用したとあります。
それを踏まえて周りをながめてみると、
おお、大小の岩礁ちゃんとあるじゃないか。で、まずは間に挟まれた締切工ですが、
テトラポッドのテの字もみえないような感じになっています。しょうがないのでもう一つのポイント、防波堤を見てみたのですが、
津波の被害を受けて先のほうまで行く事ができません。手前のほうに無いかなぁと眺めてみても、
六角形の足のテトラは見つからず。仕方が無いので、ひょっとしたらなにか見つかるかもと締切堤の先に新しくつくられた防波堤に回り込んで、当時の防波堤を眺めてみたら
あれ、小さい岩礁の手前になんかある!
すっかり摩耗しているけど、明らかにこれ角張ってるよね?転がってる場所からいっても、これ、日本で最初のテトラポッドだよね?!やったー!
岩礁とコンクリートの岸壁のすきまに身を寄せるようにたたずんでいるテトラポッド。周囲をみてもこれ以外に同様なテトラは見つからず、ひょっとしてわざと1個だけ記念に見える場所に残したのかなぁみたいな事を考えながら波にうたれるテトラポッドをしばらく眺めていました。
さて、この後宮古市内で海の幸を堪能したり(本当に美味しかった)
浄土が浜でウミネコが襲来する観光船に乗ったりしつつ国道45号線を北上して久慈まで移動して一泊しました。
道すがら市街地にさしかかるたびに、津波に被災してなにも無くなった土地と、うずたかく積み上げられた震災がれきを目にしました。
今回、沿岸部を見て回ってしみじみ思ったのが、東北の沿岸部って津波に対してきちんと対策を備えをしていたんだなぁ、でもそれを上回るような災害が今回起きたんだなぁということです。車で走ってるとこんな風に津波の被害が有った場所を指し示す看板が立ってたり
びっくりするような高さの防潮堤が海に面しているところに作られていました。いつかおこる津波が日常生活のすぐそばにある場所だったんですね。こんな備えがきちんとしていた場所でさえ、あんなふうに被害が起きてしまうんだなぁ、と。